大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和41年(う)1194号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

控訴趣意第一点及び第二点、法令の解釈適用の誤について

論旨は、原判決は児童福祉法三四条一項九号にいう「児童の心身に有害な影響を与える行為をさせる目的をもつて、これを自己の支配下に置く行為」との規定の解釈適用を誤つている。すなわち、本件トルコ娘は、いずれも一五才を超えている者であるから、同条一項各号の規定から考え同女らの業務が「心身に有害な影響を与える行為」でないことは明白であり、又被告人は同女らの希望によりその宿泊場所を提供したにとどまり、同女らを自己の支配下に置いたことはないのであるから、被告人が責任を問われる理由はないというのである。

よつて案ずるに、児童福祉法三四条一項は児童を満一五才に満たない児童とそうでない児童とに分け、前者に対しては同項各号のいかなる行為をも禁じているか、後者すなわち満一五才以上の児童に対しては同項一号、二号、四号の二、六号及び九号に規定する行為だけが禁止されていることは、所論のとおりである。そして同項各号に禁止されている行為の如きは、いずれも児童保護のうえから好ましくないものであるから、児童の心身の健全な発育から考えると、一八才未満のすべての児童に適用されるのが理想である。しかしながら、元来刑罰を科することは最小限度にとどめるべきであるから、一概に好ましくない行為といつてもその程度と内容によつてそれを法律によつて禁止する場合とそうでない場合とがあることも又当然である。そこで右各号の禁止行為を仔細に検討するに、同号の規定は児童福祉法一条にいう同法の基本理念からして、誰が考えても児童の年令如何に関わらず児童の健全なる心身の発育を阻害し、児童保護の精神に反すると明らかに認められる行為体形に属するものについては(例えば一号、二号、四号の二及び六号の各行為)、一五才に満たない児童と一五才を超える児童との区別を設けていないのに対し、児童が一定の年令に達しその心身の発育状況から右ほどに強い影響を与えないと認められるものについては(例えば三号、四号、四号の三及び五号の各行為)、一応一五才という限界を設け一五才に満たない児童に対する行為だけを処罰の対象としているものと考えられるのである。そして右のうち一号乃至六号の規定は一五才に満たない児童と一五才を超える児童とに応じそれぞれ児童の心身に有害な影響を与える典型的な行為を取り上げ、如何なる場合においてもこれを禁止しているのに過ぎないのであつて、この規定があるからといつて右規定にない行為を児童の心身に有害な影響を与える行為でないとして、これを放任する趣旨であるとは到底考えられず、ただ、右各号に規定する行為に該当しない行為か、たとえ、児童の心身に有害な影響を与えるものであつても、それだけの理由でこれを禁止するものではなく、九号所定の要件を具備する場合に限り、その弊害が大きく、他の禁止行為に劣らぬものとして九号の規定によつてこれを禁止しようとしているものと解するを相当とする。所論は、満一七才の児童に酒席に侍する行為を業務としてさせた場合五号に該当しないことは明白であり、これを九号で罰することもできないと考えられるから酒席に侍する行為と大差ないトルコ娘の業務が九号にいう「児童の心身に有害な影響を与える行為」とは考えられないと主張するので案ずるに、満一七才の児童に酒席に侍する行為を業務としてさせても五号に該当しない以上かかる児童を自己の支配下に置くことも又九号によつて処罰し得ないとの理論は一応首肯できるとしても、酒席に侍する行為とトルコ娘の仕事とを形式的、画一的に評価することは相当でなく、その業務内容を検討し果してそれが酒席に侍する行為に比し、児童により一層有害かどうかを明らかにしないかぎり所論を是認することはできない。そこでこの点について検討するに、原判決挙示の証拠によると、原判示畠中斎子は昭和二三年五月四日生れ、同米丸ヨシ子は同年一月一五日生れ、及び同古垣トシ子は同二二年一二月二三日生れであり、いずれも当時満一七才を超えていた者であるが、被告人は同女らを被告人経営の京都観光トルコ温泉の二階に住込ませ、勤務時間である午後一時三〇分(早出の場合)又は午後五時(遅出の場合)から翌日午前零時三〇分までの間同店舗内に待機させたうえ、その間順番又は客の指名によつて入浴客に個々に就かしめ、同店舗内の外部から見透し困難な個室において、ブラジヤー又は袖なしブラウスにシヨートパンツを着用した同女らをして全裸の入浴客の裸体を流しマツサージをする等の行為をさせていたこと、入浴客の殆んどが男性であるが、客の要求があれば右個室内でビール等の飲食物を提供しそのサービスにはトルコ娘である同女らが当ることになつており、男客の半数は同女らの乳、臀部等をさわつたり、又外出を誘う客も多く、中にはスペシヤルサービスと称し男性の性器のマツサージを要求する者もあることが認められる。かような不健全な勤務状態の下で深夜に亘るいわば不健康な勤務を余儀なくされている本件トルコ温泉の業務の実態から考えると、その業務に従事する児童の年令如何を問わず酒席に侍する場合よりは児童の心身に一層有形無形の有害な影響を与えることは健全なる常識に照らし明白なところであるから、右業務が九号にいう心身に有害な影響を与える行為に当ると解するのが正当であつて、本件について酒席に侍する行為と同一に論ずることは相当でない。

次に被告人が同女らを自己の支配下に置いたかどうかについて検討するに、原判決挙示の証拠を総合すると、被告人は同女らを強制的に同店舗内に住込ませたものではなく、それはあくまでも同女らの自由意思によるものであるが、同女らの居室のある同店舗二階には管理人松山敏子が居住して住込みのトルコ娘の監督に当り、同女らは前期勤務時間中自室又は待合室で待機することを余儀なくされ、かつ無断で外出することを禁止され、無断外出の場合は叱責を受け、若し遅刻すれば出番の順番を遅らせられ、それだけ同女らの収入が減ることが認められる。右の如く同女らがその意思により同店舗内に住込んだ事実はあるにせよ、一旦住込んだ以上同女らの性別、年令、勤務の条件及びその内容、使用者と被使用者との身分的関係から考え、同女らが使用者である被告人や松山敏子らの有形無形の圧力を感ずるところは否定できないところであるから、その管理支配に服さねばならない関係にあると認めても不当ではない。そして、自己の意思で住込んだとか、あるいは又何時でも勤務を辞め得る状態にあつたとの事情の如きは、右支配関係を否定するに足る事情であるということにはならない。されば原判決に所論の如き誤は存しないから、此の点に関する論旨はすべて理由がない。

控訴趣意第三点、憲法違反等の主張について

論旨は、児童福祉法三四条一項九号の規定は著しく明確性を欠き、罪刑法定主義ひいては憲法三一条に違反し、かかる法条を適用した原判決は、法令の適用を誤つたか若しくはその訴訟手続に重大な違法がある、というのである。

よつて案ずるに、児童福祉法三四条一項九号は「児童が四親等内の児童である場合及び児童に対する支配が正当な雇用関係に基くものであるか又は家庭裁判所、都道府県知事又は児童相談所長の承認を得たものである場合を除き、児童の心身に有害な影響を与える行為をさせる目的をもつて、これを自己の支配下に置く行為」と規定しているが、弁護人は右のうち「児童の心身に有害な影響を与える行為」という表現が明確性を欠くと主張するのである。しかしながら、児童の心身に有害な行為は多種多様であり、殊に昨今の複雑な社会生活事象に照らすと、それをいちいち個別的、類型的に規定することは立法技術上甚だ困難な事柄であるから、健全な常識をもつて考えれば個々の具体的事実が法規に抵触するかどうかを容易に判定し得られる限度の法規の抽象化はある程度止むを得ないものであると考える。例えば、わいせつ罪の「わいせつ」、職業安定法六三条二号にいう「公衆衛生又は公衆道徳上有害な業務」などがそうであるが、児童の心身に有害な影響を与える行為の解釈についても、健全な常識を持つ通常人ならば容易にその内容を判定し得られるものと思われるし、更に先に述べた如く児童福祉法三四条一項各号には児童の心身に有害な影響を与えるものと思われる典型的な行為が例示してあるのであり、これらの規定は、何が同条一項九号の有害な影響を与える行為であるかを判定する場合の一応の基準となるものであるから、右九号の規定が著しく明確性を欠き罪刑法定主義ひいては憲法三一条に違反する規定とは認められない(昭和三九年五月七日第一小法廷決定、刑集一八巻四号一四四頁参照)。そして本件トルコ娘の業務は前段認定のとおり一般人が考えても児童の心身に有害な影響を与える行為であると認められるものであるから、本件事案に右九号を適用するかぎりにおいては、法令の適用に誤がなく、もとより訴訟手続に重大なる違法があるとはいえず、論旨はすべて理由がない。

控訴趣意第四点、理由不備乃至事実誤認の主張について

論旨は、原判決は本件雇用関係が何故正当でないと判断したのか、その理由が明らかでないばかりか、原判示畠中斎子、同米丸ヨシ子、同古垣トシ子の法定代理人は予め包括的な承諾及び事後承認を与えているのであるから、本件は正当な雇用関係に基くものである、というのである。

しかしながら、原判決は、被告人は松山敏子及び任梅金と共謀のうえ被告人の業務に関し法定の除外事由がないのに畠中斎子、米丸ヨシ子、古垣トシ子の三名の児童をトルコ娘として雇入れ云々と判示しているのであるから、右判示の法定の除外事由がないという文言は右雇用関係について同女らの親権者の同意乃至追認がなかつたことを判断しているものと認められ、本件について同意乃至追認がなかつたと認めたことの理由までを示すことは必ずしも必要でないと考えるから、この点に関する所論は失当である。そこで親権者の同意乃至追認の有無について検討するに、原判決挙示の証拠によると、畠中斎子は新聞広告により、又米乃ヨシ子、古垣トシ子の両名は大阪市内のトルコ温泉ニユージヤパンでトルコ娘として稼働していたが(その際にも親権者の同意があつたとは認められない)、被告人経営のトルコ温泉のほうが待遇よいという風評を聞き本件トルコ娘は親や兄姉に断わりなく応募し雇用された者であるが、同女らの親や兄姉は右雇用の事実を知らず、もとより同意乃至追認があつたとは到底認めることができないのみならず、九号所定のその他の除外事由がないことも明らかである。他に記録を精査しても原判決に所論の如く事実誤認のかどが存せず論旨はいずれも理由がない。(笠松義資 中田勝三 荒石利雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例